2017年2月アーカイブ

1・25今井高樹新春講演会

          1・25今井講演会報告

 「南スーダンPKO自衛隊派遣問題を考える}

   1月25日(水)札幌市教育文化会館を会場に日本国際ボラン

ティアセンタースーダン事務所代表・今井高樹さんを講師に招き

講演会を開催しました。

 今井さんは、日本国際ボランティアセンター(JVC)について説

明し、南スーダンとの関わりから自己紹介に入りました。JVCは

1980年に創設されたNGOでインドシナ難民支援を出発点として、

現在はアジア・アフリカの9ヶ国と東日本震災被災地で人道支援

と地域開発、調査活動などを行っています。

 2007年にJVC入職し、南スーダン(当時のスーダン南部自治

領)ジェバに駐在し、車両整備工場を運営しながら、帰還した難

民への職業訓練を実施していました。2010年に活動を終了し、

整備工場を南スーダンの団体に引き継いで(北部)スーダン・南

コルドファン州に移動しました。

 2011年同州で紛争勃発し、事務所が襲撃されたので緊急退避

しました。その後スーダンの首都ハルツームに駐在し、南コルド

ファン州での避難民支援を統括していました。

 2015年6月・12月と現地団体に引き継いだ職業訓練の状況を

確認するために南スーダンに出張した。9月・11月にもジェバに

出張し緊急支援を実施した。

 

 <南スーダンの歴史と内戦!>

 1956年スーダンがイギリスから独立したが、北側はアラブ系

人種であり、南側はアフリカ系であることから、スーダン政府と

SPLAM(現南スーダン政府)が半世紀に亘る内戦が続いた。

 2005年に南北和平合意が成立し2011年に南スーダン住民投

票を経て分離独立したが、

 2013年12月より南スーダンは再度内戦状態に陥いました。

ディンカ(大統領派)とヌエル(元副大統領派)による民族対立と

言われているが、内実は「石油利権」と「開発資金」を巡る勢力

対立である。他にもシルク・バリなどの民族があり、それが大小

様々な軍閥として存在し利権にありつこうと戦闘を繰り広げてい

る。権力を把握した大統領派は、資金・ポストを与える一方で、

反大統領派を武力で弾圧してきた。特定の民族を襲撃すること

も度々で、そのために大量の避難民が発生している。

 2015年5月~8月ユニティ州で大量虐殺・レイブ事件が勃発。

翌年4月和平合意が成立し、第一副大統領が復帰するなど閣僚

メンバーも決定し統一政府ができたが機能しない。7月に1万人

の大統領派が千数百名の元副大統領派の住居・軍事拠点にヘ

リコプター・戦車・ロケット砲などで襲撃し、ジェバ市内は「戦闘状

態」になった。元副大統領派はジェバ市内を撤退したが、政府軍

兵士達は市場・国連の倉庫などでの略奪と住民・避難民への襲

撃が多発した。

 略奪・襲撃を阻止する立場にあった国連PKO軍は、政府軍と

の全面対立を回避するために武力介入はできなかった。


 <国連PKO軍・NGOに対する敵意>

 南スーダン政府・軍・警察・市民の間には、和平交渉での国際

社会U特にアメリカ)の対応への反発がある。避難民保護施設に

はヌエル人の人々が多数滞在しているために副大統領派の武装

グループの「隠れ家」になっているとの反感がある。

「戦闘」を止められなかったPKO軍に対して、一般市民は、「おカ

ネばかりを使っていい生活をして、住民を守ってくれない。」との失

望もある。


 <現地でのNGOの対応>

 南スーダンには120のNGOが活動しており、NGOフォーラムを

結成し、地域住民との信頼関係を構築し、みずから情報を収集し、

国連とも協力した上で、各地の安全対策を講じてきた。2名の安

全対策担当者を配置し、必要に応じて民間警備会社も活用して万

全を期している。

 

 <駆けつけ警護を考える> 

 ◎ 非常に非現実的であり、相手が誰か、どの程度の人数か、

  装備はどの 程度なのかが明確でなければ派遣できない。


 ◎ 相手国の同意が得られるのか、前述したように相手国の政

  府軍と対峙した場合は全面的な戦争になる恐れがあり、対応

  できない。

 ◎ なにより、自衛隊が現地情勢を把握しているとは考えられ

  ないし、信頼関係が構築されていない。


 <日本が果たすべき役割は?> 

 ◎ 「南スーダンへの武器禁輸」安保理決議に反対して否決し

  た日本政府は自衛隊がいるために「南スーダン統一政府」

  を支持するしかなかったようであるが、「南スーダン統一政

  府」の正当性は欠如しており、「統一政府」に反対する勢力

  が増加している情勢では内戦は収束しない。

 ◎ ジェバ市民は「自衛隊」については知らないが、上下水道

  整備・ナイ ル架橋などの日本のODAについては知っており

  電気製品なども含めて信頼感があり、それを生かした非軍事

  面での重要な役割を果たすべきではないか。

  ・ 「殺し合い」を止めることが第一であり、紛争当事者への

  交面での働きかけが必要。

  ・ 国造りの支援・・・行政機構の整備・法律の整備(人権につ

  いての研修)、教育支援・復興支援など。

  以上、今井高樹さんは、南スーダンPKO自衛隊派遣に関連し

 て詳細な現地情勢と今後の日本政府の取るべきみちを示唆して

 くれました。

  「駆けつけ警護」も「宿営地防衛」も非現実的であり、一日も早

 く「内戦状況」を止め、住民の安全と生活の再建が重要であると

 強調してくれました。感謝に堪えません。

 

 安倍政権のうそ!

  < 昨年7月、ジェバ市内全域は「戦闘」 
     ・・・現在もその危険はある。南スーダンは内戦中!>

   <「駆けつけ警護・宿営地共同防衛」は、

       武力行使の第一歩。!

       "憲法違反"直ちに撤退させよう!>

  安倍首相は1月20日の施政方針演説で「[南スーダンの自

衛隊の活動を]世界が賞賛し、感謝し、頼りにしています。

・・・積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄のた

め、皆さん、能う限りの貢献をしていこうではありませんか。」

と述べました。

 しかし、この間の報道により南スーダンの「衝突」の真実が

明らかになりました。まさに「戦闘」であったのです。自衛隊員

の安全を見せかけて「駆けつけ警護」を実施させるために現

地の報告文書「日報」を隠蔽したのです。

 先進国で南スーダンに派遣しているのは日本だけです。ド

イツなどが派遣していた「警察官」さえ撤退させているのです。

「内戦」を阻止するための国連PKO部隊は南スーダン政府軍

によって国内の移動さえ禁じられているのです。先進国で派遣

しているのは、日本だけです。それだけ、南スーダン現地は危

険な状況にあるのです。

自衛隊の派遣は、「蛮勇」でしかないのです。

 自衛隊の指揮権は、国連PKO部隊指揮官にあるのです。

軍隊でない自衛隊に「駆けつけ警護」も「宿営地共同防衛」も

要請されないのです。

さらにに国連PKO部隊指揮官は更迭されたままです。「内戦

中」の南スーダンに派遣された自衛隊員の<いのち>は、風

前のともしびです。犠牲の出ないうちに撤退させましょう。

世界中の誰も賞賛もしませんし、何の貢献もできないのです。

 

 在日米軍駐留経費・日本側負担 

   「 7、612億円 」 (昨年度分)

「日本と米国のコスト分担のあり方は他国のお手本になる。」

                     マティス米国防長官

  駐留経費に占める負担割合で日本は70%ですが、韓国

やドイツの30~40%とくらべると圧倒的に高いのです。そし

てアメリカと同盟関係にある他の26ヶ国の総額よりも多いと言

われているのです。

 日本は「世界一気前の良い同盟国」と世界中から揶揄されて

います。

 日米地位協定は、「植民地時代の地位協定」と世界中から揶

揄されています。日本にある米軍基地の管理権はアメリカにあ

るので、日本の政府や法律に規制されません。しかし、ドイツや

イタリアでは、演習や軍事行為は政府や法律に規制されます。

場合によっては基地内での警察権の行使なども認められてい

ます。

 オスプレイが「墜落」してもそばにも寄れず、事故原因も明確

にされないまま演習」が再開される。

こんな日本で、良いのでしょうか?沖縄の負担は軽減されない!


 「海を壊すな!」

  「サンゴを壊すな!」

   「ブロック投下をやめろ!」 

   このような抗議の声を無視して沖縄防衛局は、昨日8日、辺野古

新基地建設に伴う大浦湾の臨時制限区域内に大型コンクリートブ

ロックを投下しました。

   今後、ブロックを228個投下して固定用アンカーに使い、4~5月

頃までに汚濁防止膜を敷設する予定です。

 沖縄県は防衛局に対して2014年の当初計画からブロックの大

きさや個数が二転三転した経緯が明らかでないとし説明を求め、

説明を終えるまでブロックを投下しないよう要請していました。

   しかし、政府はこれを無視し海上工事に着手しました。

 沖縄県での選挙結果や世論調査に示された建設反対の圧倒的

な民意を踏みにじる暴挙であり許されません。また、憲法94条が

保障する<地方自治>を破壊するものであり許されません。

  辺野古新基地建設には最低3500億円(2014年試算)の経費

が掛かるのです。ヘリ基地と船舶の港湾機能をあわせ持つ最新

鋭基地として200年の耐用年数を誇り、オスプレイほか最新鋭

のF35戦闘機が配備され、運用で沖縄の基地負担はさらに増

すのです。

  新基地は危険なオスプレイの配備など沖縄基地をさらに強化

し、沖縄県民の財産であり、世界にとっても貴重な自然が息づく

海域を決定的に破壊します。

     安倍政権に建設工事中止を要求しようでは

                                                  ありませんか。

 

    「空中給油のホースや装備がオスプレイに

       ぶつかることがあり得る!」

「プロペラにぶつかれば大惨事を起こしかねない!」

 このように沖縄新報が報道した米軍資料には機体構造の欠陥を

認め、墜落事故を予想していたのです。その通りの墜落事故が起

きても米軍も政府も口をつぐんでいます。さらに許されないのは、

オスプレイが何もなかったかのように沖縄の空を飛び回っている

のです。

 オスプレイ訓練再開容認、ブロック投下などの政府による既成

事実の積み上げにも屈せず、沖縄県民は 

   「辺野古新基地建設はさせない」

  「オスプレィ配備反対」のたたかいを継続しております。

 北海道から、札幌から、

   連帯の声を挙げようではありませんか!

 

  <沖縄をかえせ!

    平和な沖縄にかえせ!

 

  辺野古新基地建設は

         許されない!>

 

  沖縄に連帯して

     平和憲法を市民の手に

    取 り 戻 そ う !!!!   

 

        さとうきび畑・・・沖縄を考える
                    (作詞・作曲・・・寺島尚彦)

  1,ざわわ ざわわ ざわわ       2,ざわわ ざわわ ざわわ
   広いさとうきび畑は               広いさとうきび畑は 
     ざわわ ざわわ ざわわ          ざわわ ざわわ ざわわ
   風が通り抜けるだけ              風が通り抜けるだけ 
   今日も見渡すぎり                 むかし海のむこうから
   みどりの波がうねる              いくさがやってきた 
   夏の日ざしのなかで              夏の日ざしのなかで 

 3,ざわわ ざわわ ざわわ      4,ざわわ ざわわ ざわわ
   広いさとうきび畑は             広いさとうきび畑は   
     ざわわ ざわわ ざわわ      ざわわ ざわわ ざわわ
   風が通り抜けるだけ            風が通り抜けるだけ  
   あの日鉄の雨にうたれ       そして私の生まれた日に
   父は死んでいった              いくさの終わりがきた
   夏の日ざしのなかで            夏の日ざしのなかで  

 5,ざわわ ざわわ ざわわ    6,ざわわ ざわわ ざわわ
   広いさとうきび畑は             広いさとうきび畑は   
      ざわわ ざわわ ざわわ           ざわわ ざわわ ざわわ
   風が通り抜けるだけ            風が通り抜けるだけ   
   風の音にとぎれて消える     知らないはずの父の手に
   母の子守りのうた               だかれた夢をみる      
   夏の日ざしのなかで            夏の日ざしのなかで   

 7,ざわわ ざわわ ざわわ    8,ざわわ ざわわ ざわわ
   広いさとうきび畑は             広いさとうきび畑は    
      ざわわ ざわわ ざわわ           ざわわ ざわわ ざわわ
   風が通り抜けるだけ            風が通り抜けるだけ    
   父の声をさがしながら         お父さんとよんでみたい
   たどる畑のみち                  お父さん どこにいるの
   夏の日ざしのなかで            このまま みどりの波に
                       夏の日ざしのなかで    

 9,ざわわ ざわわ ざわわ   10,ざわわ ざわわ ざわわ
   広いさとうきび畑は             広いさとうきび畑は 
      ざわわ ざわわ ざわわ           ざわわ ざわわ ざわわ
   風が通り抜けるだけ            風が通り抜けるだけ 
   おぼれてしまいそう            波のように押し寄せる
   夏の日ざしのなかで          風よ悲しみの歌を    
                         海にかえしてほしい 
                            夏の日ざしのなかで 

11,ざわわ ざわわ ざわわ
   風に涙は乾いても
      ざわわ ざわわ ざわわ
   この悲しみは消えない

 筆者の愛唱歌ですが、なにせ歌詞が11番まであるので全部は

歌わせて貰えず、三番までで終わらせられる。しかし、最も歌いた

いのは11番の「この悲しみは消えない」であり、現在の沖縄を考え

ると沖縄の人々は「悲しみ」を乗り越えて一人ひとりが安倍政権と

峙していることにただただ涙がこぼれるのです。


 沖縄には二度ほど戦跡巡りの旅に参加し、現地の人々の案内で

「平和の礎」やひめゆりの塔・ガマを見学し涙を流した。この度、『歴

史に学ぶ・沖縄戦跡巡りの旅から沖縄戦の実相を追う』を読んで、

作詞・作曲した寺島尚彦氏の「歌はこうして誕生した。」の文に接し

たのでここに掲載させていただきます。是非、ご一読を!吉井拝

 
 さとうきび畑に風が渡っていきます。

 沖縄が日本に返還されて30年目の夏を迎えました。あの痛ましい

戦争の記憶が少しずつ、彼方に遠ざかっていくなかで、平和への祈

りを込めた一つの歌が静かに語り、歌い継がれてきました。そして

今、父から娘へと引き継がれようとしております。


 昭和42年に作曲家寺島尚彦が発表した「さとうきび畑}は、田代

美代子が自分のコンサートで歌った。その後、NHKの「みんなの

歌」で千秋なおみと森山良子が歌って全国に紹介されました。
 

 寺島が初めて沖縄の地を訪れたのは、昭和39年6月、第二次世

界大戦後の沖縄が、まだアメリカの統治下にあり、沖縄への出入り

には日本人でもパスポートが必要な時代であった。

 ピアノ演奏の翌日、寺島さんは土地の人に案内してもらい、沖縄

のあちこちに残された戦場跡を訪ねました。日差しの強い午後の

ことでしたが、訪れたどこも静かなたたずまいを見せていました。

 案内してくれた男性と寺島が、さとうきび畑に差し掛かったときだ

った。

 「あなたが今、歩いているこの土の下に戦没者の遺骨が埋もれ

たままになっています。」

 ポツンと、おっしゃいました。思わず立ち止まった。すごいきれい

な空で夏の日差しの中、突然クラックラッとした。風の音がすごか

った。

 その音が戦争で亡くなられた人が号泣しているような、あるいは

、なぜ俺はこんな目にあったんだと怒号しているような声が耳元に

聞こえてくるような気がしました。これは、なんとかしなければて・・・

と私の心の中に潜在的に芽生えました。

  こうして、歌が芽生えた。そして寺島尚彦の初めての沖縄への

旅は心の奥に大きな宿題を残して終わった。


  東京に帰ってから、しばらくの間は衝撃は消えなかった。さとう

きび畑で聞いた風の音は、あれは普通の音と違うぞ!さあ、考え

たけど考えたけど出てこない。あるとき、ザワザワしたうるさい音で

もないし、サワサワしたきれいな音でもない。じゃ、これをくっつけて

みようと思って「ザワワ」というのを自分で考えついた時は、手を打

って、これだ!と思ったんですね。


  ざわわ ざわわ・・・11番まである歌の中で繰り返し、繰り返し、

合計66回も反覆されるこの言葉の中に、寺島さんがあの日、ご自

身の胸に鋭く突き刺さった衝撃を表現したのです。寺島さんがこの

「ザワワ」という言葉にたどり着くまでには二年の歳月が流れてい

ました。古希を迎えた寺島は、音楽教授として長年勤めた大学を

今年の春、退官し作曲活動にいそしんでいる。そして娘の夕紗子

さんはソプラノ歌手として活躍する一方、高校・大学で行進の指導

に当たっている。

 今年二月、夕紗子さんは、父が作った「さとうきび畑」をCDに吹き

込んだ。

 この歌ができてから35年がたちました。

いろんな方に愛され、いろいろな所で歌われてきました。とうとう娘

までこの歌を歌うようになりました。父から娘にというメッセージの

歌が少ないこともあって、こうして歌い継がれていくことをうれしく思

っております。

  今、こうやって、この場所に立って見ただけでは、あんな戦争が

あったなんて、誰も思わないような美しい場所になりました。

  戦争の悲惨さを風化させてはなりません。けれども、どうしても

人間の記憶は風化していきます。歌だったならば伝えられる。

風化しない何かが伝えられる、今、そんな思いがしています。


  さとうきび畑を風が渡っていきます。

  強い夏の日差しの中を今日も風がゆっくり

さとうきび畑を渡っていきます。

  この風を寺島さんは、歌として誕生させたのです。


  永久の平和への祈りを込めて・・・・。

(寺島尚彦さんは、平成16年3月23日、永眠された。享年73歳)